家出

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皆さんは今、誰と暮らしていますか?


家族や恋人。友達とルームシェアをしている人もいるかも知れませんね。わたしはというと、一人暮らしをしています。

 

不思議なのだけど、大人になって一人暮らしをしても、なぜか家に帰りたくない時があるんですけど、なんでかな。わたしの住む家はギャグみたいなボロ家なので、そのせいかな?とも思ったけど、多分、わたしの家はわたしの家である時点でわたしに甘すぎるから、過保護な親に反抗するみたいな気持ちで、帰りたくなくなってしまうのかも知れない。思えばわたしは、昔からよく家出していた。といっても、長くても2日くらいで帰ってくる家出だけど。むしろ、家族に気が付かれないくらいの短い家出をする時の方が多かった。夜中に家を出て、朝方には帰る。そういう家出だ。

 

まず、持ち物をまとめるところから家出は始まる。大きめのリュックにお気に入りの本を詰める。あとiPod。財布。モネ。

モネというのは当時わたしの家で飼っていた猫の名前だ。猫なのに、まるで子犬みたいにわたしによく懐いていた。鳴き声も子犬みたいで、顔はタヌキみたいで、薄い水色のくりくりした目をしていて、毛並みが綺麗で、たいそう可愛い猫だった。荷物を背負って外に出ようと二階の窓に足を掛けると、いつの間にか側に寄ってきていたモネがわたしを見上げてアン、アンと鳴く。一緒に行きたそうだった。なのでいつも、家出のときはモネもリュックに入れて、連れて行っていた。

胸にリュックを抱え込んで、二階からフェンスを伝って、ジャンプで外に降りる。たまに行くだけだった中学校の近くに、だだっ広い原っぱがあった。モネを出してやると、初めは怖そうにしているけれど次第に慣れて、走ったり、芝生に頭を擦りつけたりして遊んでいた。

わたしはiPodで銀杏BOYZを聴きながら、3時間も4時間も、モネが遊ぶのをボーッと眺めていた。そして、家に帰り、何事もなかったかのように寝た。何回もわたしはこうやって一晩ずつ家出していた。


ある日、わたしは本格的な家出をした。その日は靴を履く余裕も無くて、財布だけ持って裸足で家を飛び出した。久しぶりに家に帰って来ると、モネがいなかった。

 

お母さんに、「モネどこ行ったの?」と聞くと、「あんた出てったときに一緒に出てったよ。」と言われた。

それから何日もモネの帰りを待った。近所もたくさん探した。原っぱにも行った。けど、とうとうモネが帰ってくることはなかった。

全部わたしのせいだと思った。わたしの後を追って来たとしか考えられなかった。なんで飛び出した時、引き戸を閉めなかったんだろう。家出の時に、留守番させておかなかったんだろう。会って謝りたい。抱きしめたい。あの後、モネがどうなったかを考えるのが怖い。長い間いつか帰って来るはずだと自分に言い聞かせていたら、悲しむタイミングもわからなくなってしまった。本当に後悔しかない。


あんまり思い出したくないことを思い出したら、悲しくなってきた。

 

今日もわたしは家出をする。百億の星を撒きながら。東京も涼しくなってきたなと思う。すれ違う人はみんな、わたしのことを知らない。わたしもみんなのことを知らない。居酒屋の前を通る。軒先に置かれた狭い水槽の中で、やたらと雅な金魚たちが尾びれをなびかせている。工場。ディストピアな風景。東京の裏側。作業着のおじさんがしゃがみ込んで、ホースから出てくる水に歯ブラシを浸して、口の中に放り込む。一連の動作をボンヤリ眺めるわたし。猫を眺めるときと同じ目をして。おじさんと目が合う。視線がぶつかる。猫かもしれないと思う。廃墟。壊れた自転車。蔦。電柱の落書き。イヤフォンから峯田の声がする。

 

寝にくい

 

 

 

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ベッドが壊れた。今、我が家のベッドは右斜めに傾いていて、寝ていると身体がどんどん右側にずり落ちていってしまう。ずり落ちてしまうということはそれだけ傾斜が急だということで、ずり落ちるずり落ちない以前に、「このベッド、完全に斜めっていやがるな。」というあまりにも確かな感覚だけで、もう寝にくい。

 

なんとかせねばと思い頭を働かせてみると、数日前ベッドの上に横になっているとき、ボトッ、という鈍い音がしたのを思い出した。

その時わたしは「ははん、パイプ同士を繋ぐ部品のボルト的なものが落ちたな。」と早合点したのである。

 

すぐさまわたしは探した。床に這い、iPhoneのライトを点けて、ベッドの下に落ちているであろう部品のボルト的なものを懸命に探した。

でも、どこにもなかった。いろんな隙間にライトを当てて探したけど、見つからなかった。

おかしいよ。確かに聞いたのに。ボトッて、言ったのに。わたしが聞いたはずのあの音はなんだったんだ!ボルトが落ちた音だったんじゃないのか!え!おい!イライラするな!

とイライラしながら探してたのだけど本当に見つからないので、試しにボルトなしでパイプ同士を結合させてみて、その状態で寝そべってみると、意外と安定したので、ひとまずこの状態で眠ることにした。

 

それにしてもいったい、あの「ボトッ」はなんだったんだ。ボルトが落ちた音じゃないのなら、パイプが外れたときの音だったのか?いやそんなはずはない。

 

パイプが外れたときの音を教えてやろう。

 

「ガチャン」。

 

はい。これです。これがパイプが外れたときの音です。

 

絶対「ボトッ」なんて音しないはずだ。「ボトッ」は何かが落ちたときの音だ。やっぱり、ボルトが落ちたとしか考えられない。

どこ行っちゃったんだろう、ボルト。アリエッティに借りられたんだろうか?でも、アリエッティの小さな身体では、あれを一人で持って行くには少し重たいような気もする。もし、本当にアリエッティに借りられて行ったのだとしたら、手伝ってあげたかったなぁ。アリエッティに会いたい。

 

いずれにせよ、ボルトは買いに行くつもりだ。

 

 

ポートレートについて

わたしは今まで友達の写真を撮る時、友達が友達然としているところが撮りたくて、カメラを構えてから相手の表情が綻ぶのを待って、ふわって緩んだ瞬間を狙って撮っていた。


最近、役者の女友達から「写真を撮って」と頼まれる機会が増えて来て、わたしは、友達が役者であることよりも、自分の友達であることを優先して、自然な表情を撮るように努めていたけど、出来上がった写真を見ると何かが違くて、その子の良さがまったく引き出せてないような気がして毎回落ち込んでる。


多分自然な表情が撮りたいっていうのはわたしのエゴなんじゃないかな?と思う。わたしに写真を撮ってと頼んでくる女の子たちは、役者として、自分の一番魅力的なところを引き出して欲しくて、わたしにお願いしてくれてるはずだもん。
それなのに、わたしの好みに寄せた写真撮ってその子の魅力殺してどうするんだよ〜って感じですよね。本当、写ってもらう人に失礼。


わたしは写真家じゃないし、写真家になりたいわけでもない。でも、役者の友達を役者として撮るというのは、舞台で役を演じるのと同じように、それを見る人のための作品であるべきなのだと思う。


ポートレートを撮るなら、わたしはもっと写真の勉強をしなくちゃいけない。

 

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カレー食べて、ハトのこと考えてる

深夜の気持ちで書く日記。
今日、生まれて初めて、ハトのヒナを見た。ヒナは荒れ果てた植木鉢の、乾いた土の上で、小さく震えていた。


母バトはヒナの向かい側で、何やらじいっと辛抱強く座り込んでおり、わたしは、母バトが震えるヒナそっちのけで辛抱しているのはなぜなのか、大変に気がかりで、近くにいた人間に聞いてみると「このハトは卵を温めているんだよ。」と教えてくれた。でも、母バトが温めている卵っていうのは、実のところすでに孵っているあのヒナよりも前に産んだもので、もしかしたらもう、孵化するのは難しいのではないか。ということだった。
卵を懸命に温め続けるハト。そばで震えるヒナ。
とにかくとにかく早く早く、一刻も早く孵ってほしい。頼むから孵ってほしい。どっちのヒナもちゃんとしあわせになってほしい。

 

ああ、深夜の気持ち。暇人のセンチメンタル。

 

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どうしたら大人になれるのかわからない

20歳を迎えた時から毎年、誕生日には旅に行くようにしている。人は誕生日が来ると、ひとつ歳を取る。毎年誕生日が来るたびに、人は大人になっていく。

けれど幾つになっても、誕生日が来たからといって「大人になった!」と実感することはない。いまだに大人というのがどういう人を指すのか、よくわかっていない。

 

でもなんとなく、大人の特徴はわかる。選挙の投票に行くこと。お酒が飲めるということ。毎月の電気代を気にすること。お世辞を言えるようになること。銀座で買い物をすること。

どれも大人じゃないとできないことだ。上に記した大人の特徴のいくつかは、わたしにも当てはめることができるので、わたしも大人だと言える。

でも、20歳の誕生日から2年経った今でも、「わたしは大人です!」と胸を張って言うことができない。大人のはずなのに、大人であることに自信が持てない。

 

片足が10代にへばりついたまま動けないでいるこの感じ。このまま3年、5年と過ぎて30歳になっても、この気持ちは続くんだろうか。今はまだ、心が10代でもちゃんと22歳のふりをして生きていられる。でもこれが30歳になったらどうだろう。身体が歳を取っていくほど、年相応の大人のふりをするのが難しくなっていくんじゃないだろうか。このまま「片足が10代にベッタリ病」が治らないまま30歳になって40歳になって、わたしだったらそんなややこしいオバちゃんと関わりたくないし、絶対になりたくないと心の底から思う。

 

昨年あたりからずっと、未来に対して、そんな漠然とした不安を抱いている。毎晩布団に入るとき、「明日はどうやって生きていこう」って思う。明日が毎日やって来て、春が来て夏が来て秋が来て冬が来て、その次の年には去年とは違う色の季節があるようにわたしも正しく成長していきたいのだが。なんだかなあ。上手くいかない。

 

意外とみんなそうなのかも、とも思う。最近わたしは恋愛リアリティ番組にハマっている。それに出ていた30代半ばの男性が、毎晩食事を用意して家で待ってくれている女性に対して、「俺は子供扱いされるのが嫌いだ。」と声高に訴えているのを見た。無論、女性は彼を子供扱いなどしていない。美味しいご飯を作って家で待つというのは女性の思いやりから来る行動だった。けれど、男性は自分が童顔であることや「結婚出来なさそう」と周囲から言われることにコンプレックスを感じていて、他人から世話を焼かれることを過剰に嫌うのだった。

結局その二人は別れてしまうのだけれど、なんだか他人事とは思えなかった。自分のことでいっぱいいっぱいになって相手の気持ちが見えなくなることがわたしにもある。

そういう自分の幼稚さを、人との関わり合いの中で自覚すると落ち込む。けど、なるべく、相手がほしい言葉をほしいときに掛けてあげられる人でありたいから、ちゃんと心がけるようにはしてます。まあこんな話、めっちゃどうでもいいですね。

 

誕生日にしている旅の話をしようとしたのに全然関係ないほうに話が逸れたので戻します。

 

わたしはもともとフィルムカメラで写真を撮るのが好きで、旅をするようになったのも「もっといろんな人や景色の写真が撮りたい」という気持ちからでした。

旅先でカメラを持って歩くのは、ほんとうに楽しい。撮りたいものを見つけてファインダーを覗いてシャッターを切ったあとには、もう次の撮りたいものを探している。カメラを持っているだけで自然と前を向ける。わたしの好奇心が喜ぶのがわかる。カメラ大好き。

 

今年の誕生日は、Canon EOS Kiss ⅢLと写ルンですともう一台(名前忘れた)を持って長瀞に行きました。

今日その写真を現像してきたので、いくつか載せようと思います。

 

長瀞岩畳。写真は岩畳の上から撮った荒川。遠くから見ると深い緑色をしていてとても綺麗だった。近くで川底を覗くと藻が揺らいでいて、この色かと思った。

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ひとりで荒川を泳いでいたら対岸から泳いできたおじさんに絡まれた。北条政子源頼朝とお歯黒の話を話したいだけ話し、背中をタワシでゴシゴシやりながら去って行った。

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荒川ライン下りの船の上から。この写真の中央でカメラを構えているおじさんはライン下り専属カメラマンだ。朝から夕方まで一人で、上流から次々と下ってくる観光客の記念写真をカメラに収めるのが仕事だ。記念写真はその場では貰えない。欲しい人だけ申し出で注文すれば、一週間後郵送で自宅まで届くらしい。支払いは後日振り込みと、記念写真を手に入れるまでが少々面倒臭い。誰が買うのだろうとさえ思った。この日の気温は39°に達しており、船頭さんの話によれば3kmのライン下りでも熱中症で運ばれる観光客が数名いたらしく、長時間直射日光の下で写真を撮り続けるおじさんの体調がとても心配だった。

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猫。とても懐っこく、手を差し出すとぺろぺろ舐めた。黒猫の方は触ろうとしたら逃げてしまった。

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素泊まりだったので、長瀞セブンイレブンで夕食を買った。セブンイレブンを出て空を見上げると、月が出ていた。

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紫陽花

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長瀞名物、阿左美冷蔵の氷を使ったかき氷をここで食べた。氷に練乳だけのシンプルなやつ。おいしかった。頭がキーンと冷えた。この日はとても暑くて、しばらくして違う店でもう一杯かき氷を食べた。

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とまあ、こんな感じでね。いっぱい癒されて帰ってきましたよ。

 

ちなみに、昨年末舞台に出演した際にいろんな種類のフィルムを箱に詰めてプレゼントしてくださったファンの方がいらっしゃったのですが、とうとう今回の旅で使い切りました!自分では買わないようなものも試せて本当に嬉しいプレゼントでした。ありがとう。

 

またブログ書きます。おやすみなさい。