誹謗中傷のこと

 

日本でも欧米のように気軽にカウンセリングを受けられる環境が当たり前になって欲しい。

 

これは、中学の時に精神を病んで学校に行けなくなってからずっと考えてきたことだ。


誹謗中傷をする人間に、誹謗中傷がしたくてしている人なんているんだろうか。恐らくほとんどいない。

 

大抵の誹謗中傷は、ストレス発散だったり、自分の弱さと向き合いたくないがために勝手に他人に自己投影して、安心感を得ているように見受けられる。誹謗中傷をする人間は無関係の他人を傷つけまくるが、傷つけても傷つけてもまったく幸せにはなれない。挙句訴えられそうになるとツイ消しする。本当に迷惑というかなんというか、最悪だ。


そういう最悪な人間が、酷い言葉を見ず知らずの他人に無闇に投げつけることを行動に起こす前に踏みとどまれないのは、相手の立場に立って「自分が同じことをされたらどう思うか?」という想像が出来ないからだ。なぜ想像出来ないかというと、それは、蓄積されたストレスのせいである。

 

ストレスには、脳の機能を麻痺させたり、誤作動を起こさせたりする力がある。わたしはそういう麻痺とか、誤作動とかをなんとかしなければ、訴えたとしても結局何も変わらないんじゃないかと思う。それを「なんとか」出来るのは、家族でもなければ友達でもない。カウンセラーや臨床心理士といったその道のプロである、第三者だけだ。


たくさんの人が声を上げているように、誹謗中傷を行った加害者側の人間が訴えられたり、罰せられるのは至極当然だと思うし、庇う気は毛ほどもない。でも、加害者が逮捕され罰を受けたとしても、当人が自分の弱さと対峙し、弱さも含めた自分を受け入れることがないまま再び世に放たれてしまったら、また同じように他人を傷つける可能性があるんじゃないだろうか。すごく心配だ。だってその方が、自分の弱さと向き合う(=自分が傷つく)よりも、よっぽど楽だから。


わたしは、片っ端から訴え罰することが必ずしも正しいとはどうしても思えない。しかし、重ねて言うが、加害者が罰せられるのは当然だ。誹謗中傷がなければ、これから幸せな未来がたくさん待っているはずだった人が亡くなることはなかった。怒りがこみ上げてくる。こんなことになる前に、なんとか出来なかったのかという思いが頭を過ぎる。加害者を生んでしまった社会にも、問題がある。もっと根本的な解決策が必要だと思う。


欧米では、悩みごとがなくてもカウンセリングに行く人が多い。みんな、どれだけ年齢を重ねても自分のことはわからない。まったく自覚症状がなかったのに検査で初めて見つかる病気があるように、自分でも気づかないうちに心が病んでいることもある。学校や会社で定期的な健康診断があるのが当たり前なように、カウンセリングもあって当たり前であってほしい。

 

そして、これ以上被害者が増えないようになってほしいし、被害に遭われた方が、周囲の人を頼れないときに助けを求められる場所が出来て欲しい。これが一番の願いだ。そのために自分が出来ることはなんでもしたい。


みんな生身の人間なのだ。わたしはそれを忘れたくない。